プレイバック:小〜中学生時代

 小学校の体育の時間、僕は何をするのもめちゃめちゃ緊張していた。
 『ドッジボール』、嫌だなあ。『跳び箱』、恐いなあ。『鉄棒』、出来ないなあ。「・・・・・・」
 引っ込み思案で運動が苦手だから、みんなで体育をやるのが本当にドキドキして恐かった。


 日曜日、家にいたら友達が「遊ぼう」と誘いに来た。家の中で遊ぶ時はまだ良かったが、外で遊ぶ時はすごく不安になった。
 『鬼ごっこしよう』、たくさん走るの大丈夫かなぁ?『ゲームやるぞ』、全然知らないし付いていけるかなぁ?『ボール遊びやろうぜ』、速い球が恐いから逃げずにやれるかなぁ?「・・・・・・」
 走るのが遅いから、鬼ごっこでは必ず鬼になった。誰かにデンしても逃げられる気がしなかったし、人に追いつかれるのが無性に恐怖だった。


 ゲームにハマれなかった。テレビもあまり好きじゃなかった。みんなが知っている番組を全然知らずに、よくバカにされた。
 ボールが飛んでくるのを恐がり過ぎて、よけ方がどうしてもオーバーになっちゃうから、それを笑われる時があった。ボール遊びの時に限らず、運動神経が鈍過ぎて、動きがバタバタとぎこちないから、それを笑われる時もあった。


 みんなと同じように最後まで遊べる自信が持てなくて、「早く帰りたい」と思うことが多かった。
 友達と普通に遊べて、人に嫌がられない人になりたいと思った。学校で、強いほうの人になりたかった。いろいろちゃんと出来ていて、頼もしい人に憧れた。みんなといても不安にならない、そんな性格を手に入れたかった。


 ケンカに勝ったことは無い。
 周りが言っていることを理解出来ないで、一人で本気になって怒ってしまった。
 『根箭お前、冗談が通じないのか!』とよく呆れられた。正直、冗談があまりにも本当っぽく聞こえて、どこでどう聞き分けたらいいのか、子ども心に混乱することがしばしばあった。周りの友達は別に混乱していなさそうだったので、自分の頭が悪いのかな?と思った。


 一生懸命みんなのペースで遊ぶと、喘息が出るから苦しくなった。息苦しいのが恐いから、運動が恐くなった。周りと一緒に何かやっても、みんなから嫌がられないように付いていける自信がない。
 でも、遊びだけでなくて、勉強も苦手であんまり出来なかった。成績が悪くて先生に心配をかけ、お母さんから何回も怒られた。


 『好きなことが偏ってる』、『夢が狭い』と指摘されたことがあった。いつもバスや電車のことばかり考えていて、遠足の時など、一人電車を見てテンションを上げたり、道を歩いていて擦れ違ったバスをみて、歓声を上げたりしていたからだ。
 『乗り物好き』であることがそんなに悪いとは、決して思われていなかったと思うが、僕は或る物だけに夢中になり過ぎちゃった。
 ただ、そのわりには僕は、自分でいろんな電車に乗りに行こうとは、意外としなかったんだな。気が付いたら、本の写真を見るだけで満足しちゃっていた。もっと自分で行動して、乗りに行けば良かった。


 「人の話をちゃんと聞け」、「先生の言ったこと全然聞いてへんやん」
 よく友達や先生に怒られた。先生にはゲンコツも食らった。人の話は、聞こうとしていた。一生懸命聞こうとしていたけど、すぐに忘れてしまうことも分かっていたし、忘れたら、真面目に聞いていても『聞く気がない子』と思われちゃうから、それが恐くてしょうがなかった。
 いつも忘れることを恐れてビクビクしながら聞いていたから、緊張ばっかりしてあんまり話を覚えられなかった。


 一気に「ワーッ」と話された時なんか、特にちゃんと聞けなくなるのだ。聞く事に集中するというより、集中する事に集中するから、何を言われたかすぐ忘れてしまう。ほかの雑音がしているとそっちに気が散って、今聞いていた話が分からなくなっちゃう。
 話のスピードに付いていこう、付いていこうと思ってグーッと首を伸ばしてるけど、結局頭の中でワーンワーン鳴って半分しか付いていけないから、「人の話ちゃんと聞いとけ」と怒られる。


 修学旅行に行った。団体行動が不安だった。帰ってから写真が出来て親に見せると、お父さんに「お前、いつも一人でおる。それに、笑ってる写真がないな」と言われた。
 いじめられたこともあった。ある日、2人の同級生のイタズラにより、左手首に火傷を負った。保健室で包帯を巻いてもらい、教室に戻ると授業は中止となり、緊急学級会になっていた。
 先生が言った。
 「根箭に火傷させた人は、ちゃんと根箭の家に行って、お母さんに謝って来い!!」
 そこまで言う先生は、その時、頼もしく見えた。


 家に帰るとお母さんも、僕の包帯を見てビックリした。何があったのかを話すと、カンカンに怒って学校に電話を掛けていた。でもその翌日、当の本人たちが謝りに来た時は、確かお母さんは怒っていなかった。


 ある時期、僕は毎日、『死んで全部無になったら楽になる』と、グルグル思い巡らせていた。夜中に、家の建物の屋上に上がって佇んでいたことが、何回かあった。まだ家の周りに、今ほど高い建物が建ってないから、眺めがいい。遠くの明かりを見ながら、「・・・・・・・」
 でも、結局部屋に戻った。あの時、最後まで行動に移す勇気はなかった。でも、勇気がなかったお陰で今も生きているんだ。勇気がなかったお陰で・・・・・・。


 思うように友達と仲良く出来なかった小学生時代だったけど、それでも仲のいい友達が多かった時はあった。その時は楽しかったなぁ。
 スポーツはしないタイプだけど、みんなと遊ぶために、自分のバットとグローブを持っていたこともあった。あれは自分でもすごかったと思う。
 恐くてもグッとこらえてボール遊びをしていたら、ちょっとはまともに出来るようにもなってきた。悪いことばっかりではないな・・・・・。
 いつもグズグズしていてノロマで、先生たちにもよく怒られた。でも、いざとなったときは見守ってくれると、どこかで思っていたのも事実だった。













 中学校は、海外の日本人学校だったため、小学校が一緒だった。
 小学生の時より余計に周りの人に対して神経質になり、暗くなってしまった。


 『根暗!』、『根暗!』始終言われていた。
 『ねくらだな ねくらやたろうは ねくらだな』と誰かが言うと、周りはウケていた。
 この時も、僕は明るくしようと努めていた。好きで暗くなっているつもりはなくて、本当は普通に明るいと言われる人を目指していた。だけど、目標が遠かったのだろうか?結局届かなかった。


 クラスメートからは、「どう接していいか分からない」と言われた。
 僕は冗談を言うことが目標だった。みんなみたいに冗談も交えて人と喋って、たまには人を笑わせたかったが、どうやって笑わせたらいいのか分からなかった。
 冗談を言うタイミングやチャンスを逃さないことが重要だと思った。ある日、思いがけず冗談を言えるチャンスがやってきた(ある冗談を思い付いた)。ここぞとばかりに言おうとすると、気が入り過ぎて口が空回りしてしまい、言い間違えた。内心悔しくて当分ショゲていた。


 暗くしてるから弱そうに見られて、最初の頃は少しいじめられた。実際弱かったものだからイジケてるだけだったが、腹が立ってやり返そうともした。でも、いじめてくる相手は、小学生だった。つまり下級生。だから本気になって怒っていくと、周りからは僕が非難された。
 「根箭君、上級生だよね。上級生なのに下級生をいじめたりするの?」、「お前さぁ、相手は小学生なんだよ。中学生になってる君が本気で怒ったりしてさぁ、みっともねーな」
 だけど・・・・・、黙っていたらどんどんエスカレートする。だからたまらず抵抗したら、今度は怒られる。一体どうすればいいんだろう・・・・・?結局、その学年の先生に手紙を書いて助けを求めて、一件落着となった。この時も、すぐに対応してくれた先生の行動力に拍手!


 友達の前ではしかし、その後も自信が持てなかった。その大きな理由は、勉強が出来ないからだ。大抵、テストの点数や通信簿の成績を聞かれると、実際よりも水増しして答えた。
 友達が、成績を比較する対象のようにも映っていたので、どこかで過度に警戒していた。


 いわゆる5科目だけではなく、例えば技術の授業で何か作っても、僕の不器用さは何か飛びぬけていた。人の倍時間を掛けて、人の倍雑な作品に仕上がった。
 手先が不器用なのはもう生れ付きだけど、それにしても悲しいかなコンプレックスの塊、友達への態度は常にトゲトゲしかった。当然、あまり好かれたとは言えない。もうちょっと好かれるようにすれば良かった。親にも友達関係の面では心配をかけていた。


 人よりテンポが反応が遅いことも、友達の前に出ることを躊躇する原因になっていた。
 ある時、自分の教室でちょっとしたゲーム(?)をやった。クラスの全員が円になって手をつなぐ。そして、隣の人から手を握られたら、出来るだけ素早く反対の隣の人の手を握る。それをやって、一周するのに掛かるタイムを計ったのだ。何回かやった。
 一種の反射神経テストだったのかも知れないが、この時、毎回「遅い!」と言われるのが僕だった。
 僕は「何で?早くやってるよ」と反論するのだが、友達は、「いや、手の動きを見てると、いつも根箭だけ遅れてる」と言ってきた・・・・・。


 3年生の休み時間、同級生は『UNO』というカードゲームをやっていた。僕だけやっていなかった。別にみんなワザと僕を仲間外れにはしていない。でも、何か自然にそうなってしまうのだ。それは僕にも原因がすごくあるのだから、仕方がない。
 本当は一緒にやりたかったのだけど、「よせて」という言葉が、喉元まで出掛かっても緊張して言えなかった。


 後日、同窓会で参加した時、今度こそ僕もみんなと一緒にゲームが出来た。その時は、喉の閊えが取れた様な気がして、嬉しかったよな〜。
 一人一人の友達は本来、もっと気を許して話が出来るはずの人だった。
 あまり友達の中には入っていけなかったことは後悔しているけど、住んでいた町の中にはよく入っていった。
 休みの日には、外国人が滅多に乗らないすし詰め状態の市バスや地下鉄に乗り、市街地から郊外から方々歩いて、地図に書かれていない区域まで一人で巡って歩いた。
 時々ヒヤッとすることもあったけど、海外であんなことが出来たという事は、僕にもちょっとは冒険心があったのかな?


 読書にも熱心になり、文学作品をよく読んだ。だけどこれは、勉強が出来る人っぽく見せたいからだった。夏休みの読書感想文の成績だけ、評価が最高だったことがあった。シリアスで大人しくて、学校の全体作業でも積極的に働いたから、先生からは「多分勉強の成績も優秀」というイメージで見られていた可能性がある。でも、担任の先生は、いつも懇談の時に母さんに“警告”していた。
 中学2年の2学期から、大学生の家庭教師に毎週来てもらうようになった。教えてもらう科目は主に数学。1学期に、中間テストも期末テストも40点台を取ってしまったのが切っ掛けだった。


 僕は学習態度自体は悪くなかった。勉強は本当は出来る人になりたいと思っていたが、授業のペースが早く、集中力が続かない。真剣にノートを取り、授業に付いていこうとしても、途中で脱落していた。
 友達付き合いも下手で、イタズラに一人でいる時が多い。母さんは成績と交友関係と、両方心配していた。成績のことでは怒られてばっかりだったけど、交友関係のことでも、「たまには友達のとこに遊びに行きなさい」と、幾度となく背中を押された。
 友達が嫌いだったわけではないのに、殻に閉じこもってしまっていた。やっぱり勉強も運動も出来ないことからの気恥ずかしさか・・・・・?


 でも、下級生は容赦なかった。体育でバレーボールのトスの練習をすると、いつも自分で止まってしまっていた。そしたら下級生から、「根箭ちゃん、ガンだよ!」と一喝された。ショックだったけど、下手くそなのが悪い。
 運動会の組体操で、ブリッジというのをやった。3人一組で、前と後ろにそれぞれ1人ずつ立ち、3人目は前の人の肩に手を置いて両腕をピンと伸ばし、後ろの人は3人目の足首をつかんで両腕をピンと伸ばす、というものである。
 僕は下級生2人と組んで、3人目の役割となった。先ず腕を曲げ、両足首が後ろの人の肩に乗っている状態でブリッジの形を作り、次の笛で、3人目(僕)が腕を伸ばすのと、後ろの人が腕を伸ばすのを同時にやって完成だ。


 腕力がなかった僕は、自力で腕をピーンと伸ばすことが出来なかった。小学生の頃から、父さんとプールに行った時に、父さんに言われて腕立て伏せの練習をしたことがあったけど、完全に1回出来たということは、確か無かった。
 組体操練習初日、全く競技にならなかったことで僕は下級生に怒られ、「いいか!一日腕立て伏せ5回ずつだぞ」と“課題”が与えられた。
 その日から、本当に毎日腕立て伏せを始めた。何より、本番当日に自分たちの組だけ競技が出来なかったら、恥ずかしいしほかの2人に迷惑を掛ける。
 

 その後、メンバーの組み替えが行われて、私は前で立つ人になったから、腕立て伏せの練習は、運動会のためにはする必要がなくなった。しかし一度始めた練習はその後も続け、2ヶ月経った頃には、10回ぐらい出来るようになっていた。
 実はこれが、僕がまともに腕立て伏せが出来た、最初の体験である。


 月日は流れ、いよいよ高校受験の時期がやってきた。3年生はみんな帰国して、受験当日に備える。僕も帰国して家の近所の塾に毎日のように通った。
 だけど塾に入る時のテストを受けた後、理科の成績を見た先生から言われた。「君なあ、この成績では危な過ぎるから、2年生のクラスを受けなさい。それと3年生のクラスも。両方で授業を受けるんや」
 今でも忘れられない。3年生3学期、塾で一人だけ2年生のクラスに入っていた。ほかの2年生にもそのことは知れ渡り、教室にいると、「あの人3年やで。何で3年がおるんやろ?」というヒソヒソ声がよく聞こえた。


 結果的に第二志望の高校に合格(第一は不合格)。晴れて高校生になることが決まった卒業の時、ある先生が色紙にこう書いた。
 「ちょっとうつむき加減で話す姿、根箭君の特徴でしたね。決して目を合わせようとしなかった」
 あまり自覚がなかったけど、人と目を合わせない傾向が強かったらしい。クラスでもそうだったのかな?やっとクラスメートと対等な気分で付き合える!と感じた時は、もう卒業だった。


 実は卒業アルバムを受け取り損ねて、今も未だ見たことがない。それが心残りと言えば心残りかな?



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