“ビフォー・アフター”、診断がもたらした変化

 職場の上司には、予定より3週間ほど提出が遅れた、診断報告書であったが、母親には、その日の内に実家を訪ね、読んでもらった。
 この2ヶ月間、メンタルクリニックに通い続けていることは、母にも一切話していなかったので、先ずはその事実から話して、全てを打ち明けたのだった。
 母は報告書をじっと読んでいたが、「あ〜、なるほどねー。うんうん、これ、あるある」と言って、納得した様子だった。
 最初に私の口から『広汎性発達障害』という言葉を聞いた時も、母は驚いたという様子は全くなくて、「ああ、そう言われたの?ふぅ〜ん・・・・・・」と、静かな反応を示した。その後もしばらく報告書に見入っていた母は、やがて顔を上げると、「今だから言うけどね」と切り出して、こう話してきた。


 「ここ何年かで、何回かテレビの特集で発達障害が取り上げられたことがあったでしょう。あれ、あんたも家で見ていたって後から言ってたけど、私もここで見ていてね、『あー、ウチの息子、ひょっとしたらそうじゃないのかな〜』と、内心は思っていたのよ。ちょっと違う時もあったけど、テレビに出てくる人見てたら、あんたに似てるな〜って」
 なるほど。じゃあ母親としても、テレビで当事者を見たのを切っ掛けに、私に関して気付いてはいたのだ。
 さらに母親は、私自身も全く覚えていないある思い出話をしてきた。それは何と、私の幼稚園時代のことだった。


 「みんなが一つの同じことをやっている時に、あんた一人だけ、『こんなん、つまらない』とか言って、勝手に教室の離れたスペースに行って、ゴロンと横になってたことがあったのよ。私も『え?』と思ったし、周りの人からも、『根箭さんとこのお子さんって、何かユニークですね。ちょっと変わってますね』とか言われたりして・・・・・。テレビで発達障害の子どもが出てきたのを見た時に、その事を思い出したのよ。まあ、子どもだからそんなもんだとも、あんたが幼稚園の頃は思っていたし、たまたま(当時の私が)気が向かなかっただけかな?とも考えたんだけどね」


 へー!そんな事があったのか?と、思わず興味津々になった。だけど、さすがに幼稚園時代のそのエピソードは覚えていなくても、その後、小学生になって以降の私の振る舞いや集団の中での態度を考えると、腑に落ちる話ではある、と思った。
 小学生時代までになると、私の記憶に残っている部分も多いし、私が発達障害の特徴と照合しつつ、私の体験したことや味わった思いを話すと、「ああ、そうだった、そうだった」と、母も思い出してきた。


 「でも、今はもう、あんたも自立してるし、ちゃんと仕事も続いて、やっていってるから、全然問題ないと思うよ」と安心したように言ってきたのを聞いて、私も、「そう。それが自分でも誇りだな」と自分を認めた。
 そこで話が終われば良かったのであるが、このあと母は、私自身からすれば思い掛けないことを言ってきた。
 「でも、何かあんたに対して申し訳ないような・・・・・。障害のある子に産んだことを。やっぱりそれがあった為に、いろいろ辛い思いもしてきた訳だしねぇ」


 「いやいや、申し訳ないことは無い。それは絶対無い」と即答した。親はやっぱりそう思ってしまうものなのか・・・・・?と、しばし私は顔を曇らせたが、「自分はこれで充分幸せやと思ってるし、丸で悪い事をしたみたいな気持ちにならんでもええ」と、もう一度念押ししたら、母は「そぉ?」と言いながら安堵の表情を浮かべていた。


 正直に言えば、母親から口酸っぱく注意された自分の悪いところが、『実はあれは障害の特徴が出ていた』という場面はあった。
 物を一生懸命探しても見付けられず、結局たまたま自分の探していなかった箇所から見付かった時に、「ちゃんと探す気がないでしょう」と言われたり、工夫しても問題を解決出来なかった時に、「工夫しないからよ」と言われたりした時である。


 反抗期の時は生意気だったからついムキになって言い返し、その際にも言い間違いを連発すると、その言い間違い自体に対してヒステリーを起こすということも多かった。
 だけどそれらは全て、まだ発達障害というものを、世間一般が誰も知らなかった時代のことで、もう今となっては懐かしい話でしかない。それよりも、多くの発達障害者が同じような経験をしているという事で、いずれほかの当事者と出会った時、共有出来ればいいと思っている。


 さて、診断の“ビフォーアフター”で、何か自分に変化がもたらされたというのは、有るのか?
 やはり日が経つにつれ、ある種の内面的な変化が起こってきたというのは、実感するようになった。ザッと何点か挙げると以下の通りである。

診断前(ビフォー) 診断後(アフター)
何かと、「うまく気付かなくてはいけない。早く気付かないといけない」と、絶えず焦っては失敗した。健常者なら健常者らしく、早い対応が出来て当たり前と思っていた。 本当にやる気がなくてボーッとしていたのではなくて、どうしても脳が反応するのが遅い障害なのだから、『気付くのが遅い』よりも『最後には気付けた』と受け止める。
ついさっきある事を聞いても、別の視覚的情報が飛び込んでくると、それに前の記憶が掻き消される形で記憶がリセットされ、前の状況を受けての次の対応をする事が出来ない。 記憶の構造上、どうしても視覚的記憶が優位である事を理解した上で、即座にハッキリ復唱したりメモを取ったりするなど、前の記憶が視覚的に残るようにしておく。
すぐに喋り間違いをして、その都度激しく混乱し、ムキになって何回も言い直して「くどい」と言われたり、逆に話す気がなくなって途中で喋るのを止めたりした。 いつものことだし、飽くまでも障害の特性なのだから(全部が全部ではないだろうが)、そのまま最後まで喋る。正確に喋ることよりも、最終的に伝わることに重点を置く。
学校にいた時など、クイズやなぞなぞが出題されて、ほかの人はどんどん「解った!」と言って正解を当てるのに、自分はいつも解らなかった。僕はほかの人より頭が悪いと思った。 元々知能的なハンディがある訳だから、それをほかの人が気付こうが気付くまいが、気にせずやり過ごしたらいい。脳の思考の構造が違えば、ほかの人と違う点が出てきて当たり前。
周りがとっくに気付いていることに自分だけ気付いてなかったり、人のある特徴を自分だけ見抜けなかったりして、「観察力がない」、「人に関心がない」と言われたことがある。 気付かなかった時はそれを受け入れて、気付いた人たちの言っていることを聞いておく。「何で気付かないのか?」と自問する意味はあまりないので、人の話を聞いて状況を理解する。
普通の社会認識や社会感覚と一致出来なくて「しんどい」と感じる。自分の認識でものを言う事は恥をかく事に直結すると思い、言いたくても“一致していない”のが恐くて躊躇した。 一致させなくてはと焦らない。開き直り過ぎると良くないが、恥をかいてもそれが素直な自分の感覚だったら、素直に自分をに世の中に出してみる。不安なことを「不安」と正直に言う
自分の中で決まっていることは、その時点で相手にも伝わったと錯覚を起こしてしまう。結果、肝心の一点をきちんと伝えないままになって、失敗する。「何故もう一言を!」と悔やむ。 純粋に、自分の相手への配慮不足は反省する。その上で、コミュニケーション能力に障害があるのが自分の障害だと常に認識し、伝える際に自分に必要な状況を丁寧に説明する。
長時間仕事に集中するのが難しく、唐突に注意が途切れて順序が飛んだりする。長年やっている仕事になればなるほど、「もう長いのに、覚える気がないのか?」と焦っていた。 『長年やっている=ノーミスで完璧』と決め付けなくて良い。障害の特性上、注意は途切れてしまうのだし、唐突に忘れるのはその瞬間、目に飛び込んできた別の情報に反応したから。


 ・・・・・・まだまだあるだろうが、総じて診断前は全部自分の努力が足りないせいだと決め付けていたのが、診断後は障害の特性であることを自らが理解して、ストレスは減った。『健常者』を意識するあまり、それらしく振る舞うよう自らを指導≠キる自分も常にいたが、それもお役御免となって、指導される側の自分はプレッシャーから解放された。気持ちも落ち着いてきている。


 今までの私は、人が聞いたら笑うような、どうでもいい細かいことが出来る様になることを、真剣に目標とする事が多かった。
 それは全て、『現実に自分が出来ないから』であった。健常者である限り、【普通は出来る筈】という事は、必ず出来る、それもそつなく出来るようにならないと、気が済まなかったのだ。
 故にちょっとした失敗を引きずり、いつも「引きずりやすいタイプ」と言われて、そんな自分を(失敗をすること自体も)恥じていたのである。気持ちの切り替えが出来ないことでは折り紙付きであったが、そんな、“ムダに深刻になる”ことは、もうしなくても良くなったようだ。


 街中で何かを利用しようとして要領が分からず、失敗して誰かに(例えば店では店員に)教えてもらった時、以前なら自分への情けなさで頭にカーッと血がのぼっていたのが、今では穏やかに受け流せるようになった。
 診断前は、「何でや?どうなっとるんや?」ばっかりだったのが、診断後は「あ、そうやからや。こういう事やったよな」が多くなってきたから、精神的には楽になって、肩の力が抜けたような気持ちである。


 ただ、そうは言っても、全部が全部楽になるわけでは決してなく、そもそも全部が全部障害の特性ではないだろうから、自分の問題という部分はもちろん今後もあるし、逆にどこまでがどっちなのかを判断するのが、難しくなると感じている。
 障害の特性と解っていてもなお、ある時は気分的に、どうしてもそれを受容出来ずにパニックになるかも知れないし、一つの大きな節目は越えたが、越えて初めて迎える次の試練というのが、きっとあるだろう。


 ハッキリ言えるのは、あまり障害のせいにし過ぎて甘えないことと、『ミスが続く=怠けている証拠』という方程式から、自分を解放することである。
 障害以前に性格というものがある。私自身、元々が短気で結論を急ぐ性格だから、こうしてキーボードを打っていても、単純な指の誤動作による打ち間違いが続くと、ついイラーッ!とくる。
 「気合いを入れて打たんかい!」と自分を叱りつけたくなるから(本当に気が抜けているからではないが)、肩や首や頭を揺さぶって文字入力をしようとしてしまう。このあたりの、単純ミスに対する過剰な反応は、障害の特性も含まれているのかも知れないが、短気な性格によるものも大きいだろう。


 寧ろ、なまじこのような性格だから、そこに障害の特徴が介入して性格とタッグを組むと、エラいことになってしまうのである。
 要は性格も直さなくてはならないという事か?確かに障害は治せないが性格は直せる。でも、『人間、持って生まれたものは変えられない』という側面も一方ではあり、そういう意味では、一番付き合うのが難しい相手は、障害ではなくて、性格なのだろう。


 心のどこかで、健常者の感覚やペースと対比することは、きっとこれからもあると思う。
 【今日はどのくらい健常者出来てた?】、【今はどのくらい健常者出来てる?】、【今日の健常者度は?】、【昨日の健常者度よりも、今日はアップした?ダウンした?】
 かつてこの様な自問をしない日はなかった。これからはもうすることは無いだろうが、肩の力を抜いても、抜き過ぎてはいけない。
 自分で努力すべき部分は精一杯やって、“人並みに気が利く動き”、“周りの状況に即した対応”を取れる人間も、社会人としては一定、目指していかなければならないだろう。但し一言注意、【最後に自分を認めてやる配慮を忘れずに】。


 国の制度の変革が発端となって、健常者の看板を下ろす結果に至った私だが、依然仕事はしんどいことが多いし(仕事だから当たり前だが)、特に各支援機関が集まる会議の招集や調整、会議全体の進行というのは、自分の障害の特性と照らせば、かなり厳しい部類の仕事になることは間違いない。
 発達障害や、アスペルガー症候群(これは自分には該当しなかったが)の人は、【自分のペースで集中出来る、作業的業務】が適職である場合が多い。この私も例外ではなく、統括・マネジメント的な仕事というのは、どちらかと言えば(特に私の場合)ミスポジショニングになり兼ねない。
 それを、どこまで頑張ってこなせる様になるのか。過酷な忙しさを迎えるこれからが勝負である。


 今年度、新管理者体制がスタートした。管理者になってくれる人がいたお陰で、今の自分のポジションがあるという感謝も、忘れてはならない。
 人が代われば、個々の状況への対策も変わる。これからも、いろいろな事に気付かされ、目を届かせるようになるのだろう。
 



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