終章 −40歳からのニューアイデンティティー−

 2014年4月2日、高槻市立生涯学習センターにて、講演【自閉症の人と共にあゆむ】が行われ、参加してきた。
 これは、『世界自閉症啓発デー高槻実行委員会』が主催で行われたもので、高槻市と高槻市教育委員会が共催であったが、私自身は、『大阪府発達障がい者支援センター アクトおおさか』に自ら電話して講座や研修開催の情報を求め、教えてもらった。
 自閉症や発達障害の社会への啓発と、正しい理解を呼びかけることが、開催の目的である。


 司会を務めた内の1人は発達障害当事者の大学生で、自己紹介の中で、自らを高機能自閉症であると言っていた。そして、「講義を聞きながら同時にノートを取るなど、一度に2つのことをすることが出来ず、アイパッドを使うことで対処している」と、実際に現物を見せながら語っていたが、私は、「今の学生はハイテクツールがあっていいなぁ」と率直に思った。
 『自閉症の中で、IQ(知能指数)の値が、知的障害とのボーダーである70を越えていたら高機能』という話も出てきたが、それにしてもひょうきんな司会者で、ノリ良く漫談チックに話していた。


 続いて挨拶に立った主催者の人は、「“人付き合いが悪い”、“空気が読めない”といった、発達障害の特徴のごく一部だけが一人歩きをしてしまい、意志の疎通が噛み合わなかったり、マイペースな行動に走る人を、“発達障害か!”と一括りにされるのが大変悲しい。当事者一人一人の抱える困難は、本当にさまざま」と述べていた。
 なるほど。私は発達障害と判明することで、自分の持っていた特徴が理解され、許されるようになると感じていた節があったのだが、『障害の特徴』そのものが、ややもすると否定的に捉えられる可能性もあるのかと思い、にわかに緊張が走った。


 さて、この講演の講師を務めたのは、上記『大阪府発達障がい者支援センター アクトおおさか』のセンター長、堀内桂氏である。
 堀内氏は、先ず講演前半は、世界における発達障害の概念・定義の歴史について解説した。そして後半に、今の時代に於ける、発達障害に関するさまざまな見解やアプローチを紹介したのである。


 以下に講演の内容と、一部私の感想を《》内にまとめた。


自閉症をもう少し広く言うと、広汎性発達障害となる。
《自閉的な傾向があるのは自他共に認めるところなので、私も『高機能自閉症』に該当するかな?と思った。因みに、私の自閉症スペクトラム指数は35
言葉をその言葉どおりに受け止める。例えば「100円玉を10円玉と交換して下さい」と言われると、実際には両替を意味していても、そのようには伝わらず、10円玉1枚だけと交換しようとする。
《昔、自分が何かをやっていてやり方を注意される時、「○○というやり方でも別にいいだろう?」という言い方をされると、「それなら自分のやり方でもいいはずだ。何故一方的に否定されるのか?」とムキになって反論していた。「〜でもいいだろう」が、実際には「〜のほうがいいんだよ」という意味を暗に示していることに、気付くのが苦手だった。今でも多少は苦手かも》
多くのことに興味を持つよりは、自分がよく知っている特定のことに興味を持っている。
《全くそのとおり。一つの分野の中でも興味の範囲が常に限定されているから、なかなか話題が豊富になれない。競争が苦手なので、興味がある物でも競って手に入れることは少ない》
たくさんの情報が一度に入ってくると、どこへ注意を向けていいか混乱しやすい。初めに入った情報だけに注意が向き、途中で切り替えるのが苦手。
《自分にはこの逆もあり、自分が何か喋ろうとした時、2とおり以上の言い方があると、その両方が同時に頭に集まってしまい、どちらを取るかとっさに迷ってしまう。これがあるために、日頃から話が進むのが遅く、『くどい』、『話が長い』とよく言われた》
言葉よりは絵で伝えたほうが解りやすい。話し言葉は飽くまでも参考程度として扱われる。
《私は相手が順を追って話をしてくる時、話に付いていけるように、話の内容を常に場面化・映像化して聞いている》
決して脳が動いていないわけではないが、反応がちょっと遅いので、いざ反応した時には、もう場面が変わっている。また、人の気持ちが解らないわけではないが、自然に伝わらないのでちゃんと伝える手助けが必要。
《いつもいつも反応が遅い理由が再確認出来た。でも、もうそのことにイライラするのは止めたい。人の気持ちも、理解が遅いけど解ろうという意志は、自分にもある》
コミュニケーションとは、一人だけではなくて、誰かとやり取りすることだから、これまでは『コミュニケーション』と『社会性』は別々の問題として診断(自閉症・発達障害の)されてきたが、次の診断基準改訂では、これを一つの組にする。同じく、『こだわり・反復行動』と『感覚の問題』も一つの組にする。なお、診断名も、『自閉症』から『自閉スペクトラム症』に変わるかも知れない。
《コミュニケーションと社会性は大変重なり合うと思うが、『感覚の問題』は、感情処理や五感の問題も加わり、範囲が広いのでは?》
今までは(私の時も含めて)、幼少時の特徴が分からないと、正確な診断は出来ないとされてきた。しかしそれだと、既に両親が他界している場合や、幼少時に一人で(孤児の状態で)暮らしてきた人は、永遠に診断がつかず、必要なサービスも受けられないので、これからは『大人になってから分かることもある』という条文(診断の根拠)が入ると思う。
《診断機関によっては、母子手帳の提示を求めたり、母親同伴を求めるところもある。これには私も大いに疑問!》
自閉症は『障害』と言われるが、決して脳が機能していないわけではない。寧ろ機能し過ぎているかも知れない。その証拠に、特別な才能を発揮して、社会の中で役割を果たしている人、人類の進化に寄与している人もいる。障害者と呼ぶよりは、『神経学的少数派』と呼んだ方がふさわしい。
《神経学的という言葉は、どうも複雑過ぎる響きがある。『脳機能少数派』か、『思考的特異派』のほうがまだいいかも》
障害そのものの早期発見にこだわるより、肝心なのは、その時その時に本人に『正しく情報が伝わらない』時間を短くすること。いつまでも何を伝えられているのか分からないと、「自分はもう、ダメな人間なんだ。出来ない人間なんだ」と思い、自尊感情が育たなくなる。
《痛いほど気持ちは解る。私もよく、人が自分宛に書き記した物や、言葉で伝えてくれた事を、その人の意図と違う方向に理解をしてしまい、当分自己否定が長引く。思い込む前にいちいち確認する習慣も身に付けたいが、難しい》

 締めくくりに堀内氏は、自閉症の人を支援する際のちょっとしたコツとして、以下の4点を述べた。
 ●支援者間で援助の方法を具体的な点まで統一する。
 ●一度に多くの援助目標をつくらない(必要度・緊急度によって的を絞る)。
 ●目標が達成できて定着してから、次の段階へ移る。
 ●混乱したら、混乱していなかった段階へ戻る。


 私自身も当事者だけに、もし支援する側になった場合は、心に据えておきたい。
 今回この講演に参加したのは、当事者であると判った私が、もっと自分の障害に関する知識を増やしたい、そして自らの障害への見識を深めたいという気持ちがあったからだ。


 これからの私は、こうして自分の障害がテーマのいろいろな講演・研修に足を運び、積極的に発達障害について勉強していくことを、一つのライフワークにしていきたい。講演で講師を務めた堀内桂氏がセンター長を勤める、『大阪府発達障がい者支援センター アクトおおさか』にも、何か困ったことや、自分に関する疑問などが出てきた時は是非相談に訪れたいと思う。目下、電話だけの接触となっているが、いずれ一度は、直接訪ねてみたいと思っている。
 また、私が診断を受けたクリニックでも不定期で勉強会をやるので、そちらにも足を運びながら、何かあった時はそこでも相談をしていきたい。













 さて、【40歳からのニューアイデンティティー】ということで、我が人生を振り返ってきたが、思えば私は10年一昔前にも、『30歳からのニューアイデンティティー』なるものを体験していた。
 このホームページを開設して、管理人になったことがそれであり、ウェブサイトの管理人というのは、人生として大変大きな、ニューアイデンティティーの確立であった。
 そしてこのもう少し前からの時期、年齢にして28〜30歳というのは、ことインターネットという意味では、画期的な一歩を踏み出した時期となった。即ち、パソコンをマスターして、インターネットにも日常的に接触する生活に変わったのが28歳の時で、当時私は、ネット上で2つの新しいことを始めた。


 1つは、インターネット上に自分の趣味ネタを扱うサイトが存在しているのを発見し、そこに自分で情報を書き込んだり、画像を投稿したりすること。もう1つは、FreeMLの存在を知り、私にとって良さそうなML(メーリングリスト)を発見して、自分がメンバーになったことであった。
 

 当時、今以上にインターネットに対して新鮮さと先進性を感じており、そこで新たに、趣味や社会交流の出会いがあったというのは、大人として飛躍的に成長したことになると、我ながらワクワクしていたものである。
 ただ、失敗も犯した。趣味ネタのサイトでは、ネット上に存在していたルールや、ほかの閲覧者から受ける印象になかなか気付けず、万事自由に捉え過ぎていた。やがてルールの存在を知ることとなるが、その後も、自分では気を付けてルールに従っているつもりが、読み違えてかえって迷惑を掛けるという結果になり、気を遣おうと意識しても方向がズレてしまうという特徴が、ここでも出てしまっていた。


 一方で大きなプラス点もあった。これは趣味ではなく仕事の話であるが、私は職場でも10年以上ホームページを担当しており、各種講座や研修、障害者運動などの報告記事を作成している。しかしハッキリ言って、いろいろな制度の仕組みや動きなどは、大変難しい。
 受け身で聞いているだけでは、到底学習出来ないだろう。しかし、敢えて自らが発信する側となり、最初は自分でもよく分かっていないことを、調べてまとめ、発信することで、大いに勉強になるのである。
 大変労力を費やす仕事だが、これからも是非続けていきたい。


 MLに関しては、決して大きな失敗をすることは無かったと思うが、『自分が積極的に発信していくのだ』という意識だけが先行してしまって、こちらは一生懸命投稿をするも、それに対してせっかく書いてくれたレス(返信)にまで充分気が回らず、結果、読み損ねてしまったことがあった。
 また、メンバーになって2年ぐらい経つと、私も思い切ってオフ会に参加するようになったのだが、仲良くなってきた人と夢中になって話すと、声が大きくなり過ぎて途中でハッとしたことが数回あった。
 ただ、オフ会に参加したというのは、思い切った行動だったと思う。


 そのオフ会では1度だけ、幹事を務めたことがあった。この私が、社会人レベルの交流の場で幹事を務めるのは、本来考えられない話だったので、切っ掛けはあるメンバーから任されたからであったが、『自分が人並みに社会人をやっている大人だ』と、意識が高まる体験になったと思っている。
 幹事の役割そのものは、オフ会当日、何とか最後まで無事にこなせ、やはりどこかで緊張していたので、ホッとしたものであった。
 のちに30代半ばになって、【健常者の看板】人生のピークを迎えることになるが、ネット上で出会った人たちと盛んに交流を重ねたこの時期も、【健常者の看板】人生の、第一段階のピークだったかも知れない。



 そんな時代も経由しての、今回の【40歳からのニューアイデンティティー】だった訳だが、さて、この先私は、どのように生きていくのだろうか?


 先ずはとにかく、30代の10年間で経験してきたことを無駄にせず、40代の人生を送っていきたい。
 40代〜50代というのは、思春期の頃から一番体験したいと思っていた、人生の充実期である。先ずは早く30代になることを渇望し、漸くその年齢に届いてからは、40代になるのを心待ちにしていたのだ。
 何故そこまで早く年を重ねたかったのか?それは、常に心のどこかで、自分が変わっていくことを期待したからだと思う。


 今でもよく覚えている。
 小学生の頃から、自分はどこか、『普通より弱い』、『普通より低い』と、自分がある種の“標準値”に届いていないという不安を抱いていた。だから、『もっと変わりたい』、『いつか変われるかな?』と思っていたのだ。
 小学生の頃は、大きいお兄ちゃんになったら変われると思っていた。そしていざお兄ちゃんになると、やはり周りと上手くいき辛くてしっくり来ない感覚が残ったから、今度は大人になって社会に出たら変わっていくかも、と思った。しかし実際に社会に出ると、『未熟で無知で幼くて・・・・・』と、およそ不安材料のオンパレードになったから、中高年の社会人の先輩たちを見て、『あのぐらいの年齢になったら、俺も変わってきてるんだ』と思うようになったのだ。


 ずーっとこんな具合で生きてきて、実際に中高年の域まで辿り着いた時、自分を待っていたのは『広汎性発達障害』という診断だった。もちろん、これからも良い方向への変化を遂げていきたいし、子どもの頃から今に至るまで、自然変化だけを漫然と期待するのではなく、自力変化も常に試みていた。
 その結果、『普通の大人の感覚に変わる』というのは幻に終わったが、ちょうど40歳という、これから人生の充実期〜円熟期を迎えていく入口の段階で、自分の障害が判ったことは、今後への頼もしい追い風になると感じている。
 もう無理な変化は求めなくて良いということがハッキリした。だからその分、自分らしさを大切に、思い切りのよさも持って、障害が自分に溶け込んだものとして、ごく自然に“起動”する人生を送りたい。


 異論はあるかも知れないが、最近私は、障害は一つの機能で、パソコンで言うところのソフトだと思うようになってきた。
 自分の中には、発達障害というソフトがインストールされている。そのソフトは、いつも起動しっ放しにはならないし、休眠しっ放しにもならない。そして、ソフトには弱点も多いが優れた機能もある。そのソフトでなければ発揮されないような強み(ストレングス)も秘めているのだ。
 【得手不得手のアンバランスが非常に大きいことが、自分を苦しめる】
 診断の結果はこう出ていた。いろんな意味で、『アンバランスに苦しめられる』というのは自分でも認めるが、【不得手を認め、得手を伸ばす】、結局これしか、自分が乗り越えていく道はないだろう。その上で、自分の持つ力を世の中で開花させ、一つのパワーとして社会に認められるようになれば、当事者としてこれほど嬉しいことはない。


 発達障害者にとって天敵となることの一つは、もちろん個人個人で違いはあるが、既成概念にハメ込まれることや、『納得出来ないのに諦めないといけない』というような、周囲の空気ではないかと思う。
 元来、私も曲がったことは嫌いな性格で、『長い物には巻かれろ』ということわざを一番嫌っている。それでいて、世の中の理不尽に立ち向かうだけの勇気は持っていないから、正直、ジレンマとなるのだが、自分のことを棚に上げてでも、最後にこの一言を言わせてもらう。
 『0(ゼロ)と1(いち)は違う』


 よく、「君1人そんなこと言ったってダメだ」とか、「そんなこと、一度言って出来るぐらいなら誰も苦労しない」という言葉を聞くだろう。私も事あるごとに聞いたことがある。
 でも、「1人で言ったってダメ」と言われて全員が諦め、誰1人何も言わなかったら、世の中は変わらない。
 世の中は、ある日急に大きく変わるようには出来ていない。先ずは誰か1人が発言し、問題提起をすることで、誰も気付かない小さな源が生まれる。それが小さな源のままで終わることは勿論少なくないが、やがて本当に少しずつでも、世の中が変わる方向につながっていくことも有り得る。
 私も、一生弱いだけの人間で終わるのではなく、何か少しでも勇気を持てる、そんな人間になれればいいと思う。


 そして仕事である。
 これからの業務環境は、まさに茨の道だと思っている。単に業務の流れを完全にマスターするだけでは通用せず、行政や他機関との、“ルール観”の相違や感覚の相違にも、対応しないといけない。
 まさに自分の大の苦手分野であり、従って2歩に1歩は、自分のソフト(障害)の、脆弱な側面が作動するかも知れない。周りにはますますご厄介になるだろうが、とにかく意識をしっかり持ち、ピリッと注意をして、冷静に判断することを心掛けたい。


 何かミスが続いても、今までの様に「なんでやねん!」ではなく、「ああ、ソフトが起動したんだな」となるから(つまりミスの原因がハッキリ分かっているのだから)、あとは自分でそれを受容する努力をし、最大限自分を操縦することに全力を注ぎたい。小さな言い間違いを気にしたりもすると思うが、それも含めて自分のソフトをしっかりと自覚出来れば、自信も回復するだろう。
 『周りからの相当な支援が必要』と、診断テストの結果では言われていたが、何を支援してもらい、どうされたらいいのか、その都度考えていかないといけない。もう診断前みたいに、自分の特徴に特化した工夫をすることを、恥と感じる必要はないから、姿勢も新たに創意工夫をしていくべきと考えている。
 サポートしてくれる仲間はいるので、そのことを有難く思いたい。日々付き合ってくれる人たちには、感謝感謝である。


 発達障害、それは一般の社会通念や空気とは、やや相性が合いにくいソフト。
 アンインストールは絶対に出来ない。かつては結果的にしようとしていたが、今はしたくない。今一度、ソフトの持つ未発見の魅力≠信じて、ソフトを最大限に起動させながら、後半生を歩んでいきたいと思う。
 そういう思いを込めて、締めくくりに自分流の解釈であるこの言葉をもう一度。

 
 障害は機能である。
 


(完)


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【40歳からのニューアイデンティティー  広汎性発達障害と診断されて】