仕切り直し!【健常者として生きる】と決めた時

 障害者ケアマネジメント従事者研修が修了して以降、私はどこか落ち着かない、非常に“迷える”心境で過ごしていた。
 あの第2日目と演習初日の体験の“ダブル余韻”が、グルグルと心の中を駆け回り、半分信じられない気持ちとなっていた。


 私は研修結果を詳しく報告する事務局会議の席で、あまりテンションが上がり過ぎないよう気を付けつつ、自分の正直な感想を伝えた。実は、この時の周りの反応によっては、私は本当に然るべき機関に行って診断を受け、どちらであるのか≠ハッキリさせようと思っていたのだ。
 しかし、周囲の反応は私の期待(?!)に反して至って冷静なもので、特に興味を惹いたという様子ではなかった。正直、私一人が内心気が逸って熱くなっていたという状況で、周囲との温度差を感じるに及び、にわかに自分の感触に確信が持てなくなってきた。


 「案外、他人から見た自分は、発達障害には当てはまってはいないのかも知れないな。これまでどおり、健常者として認識している方が正しいのかも」
 そう、認識を改めるようになった。


 これまで私は、何かが起こるたびに気持ちの収拾がつかなくなり、周囲から大袈裟と言われる反応を示すことがしばしばあった。実際には『大袈裟にしよう』とは意識していないのであるが、一つの方向に夢中になり過ぎてしまい、若い頃はとかく舞い上がってしまうという失敗も、少なくなかった。
 今回の研修も、あまりにも自分の特徴と似ている話を聞いたがために、ピョーン!とテンションが上がりきったのであるが、もっと冷静に、「そんなに驚き過ぎるのはおかしい」と解釈することも、必要かも知れなかった。
 そう考えると段々反省モードになり、何やら気恥ずかしささえ覚えてきた。私は取り急ぎ仕切り直しの上、軌道修正をおこなった。
 【これからも、健常者として生きる】


 発達障害が、自分の特徴とよく似ていることは、否定しなくて良いと思う。しかし、“似てはいるけど自分は健常者”というのが、一番正しい気がしたのだ。
 かくて私は、健常者という看板をしっかり背負い、それを外さずに生きていく事を心に決めた。


 【健常者という看板】・・・・・
 こののち約8年間、およそ覚醒状態である限り、私の脳裏から消える事がなかった言葉である。【健常者】というのはこの場合、『発達障害または知的障害ではない』という意味での健常者となるのだが、今回の研修で発達障害を知る以前も、私は意味としては同じことを、別の言葉で表現し、それを自分の特徴と対比するものとして、自分に言って聞かせていた。
 その言葉とは、【普通】である。


 『普通に追い付く』、『普通みたいにする』、『普通と同じ中身になる』、『普通というものに付いていく』、『普通と対等に並ぶ』


 物心がついてからというもの、私は常に、心のどこかで、これらの言葉を復唱しており、ことに思春期に入り、大人になってきてからは、より顕著なこだわりとして意識する様になった。【普通】というものがどれだけ重要な目標で、同時に高い壁として立ちはだかっているか、身をもって体感していたのである。もちろん、【普通】を目指して努力はしたが、読み違えや空回りが先行したと同時に、生来の気の弱さゆえに、【普通】から逃げようとする事も少なくなかった。【普通】から逃げる、つまり現実逃避であるが、一人相撲と現実逃避が交互に繰り返される人生だった。


 【普通という看板を背負う】という言い方も、どこかでしていたかも知れない。そしてその普通という言葉が、今回【健常者】に置き換わった、というのが率直な実感であった。


 さて、仕切り直して歩み始めた、健常者としての人生であるが、自分の実感としては常に、“ギリギリ”、“ヒヤヒヤ”、“スレスレ”で、まさに綱渡りの心地であった。
 『今は順調に、健常者のレールを走れているぞ』と手応えを感じても、ものの数メートルも走らない内に、脱線。一度脱線すると復旧作業が思うように進まず、焦って急いで何とか復旧したと思ったら、程なくしてまた脱線、の繰り返しであった。


 そんな自分を見ての事であろうか。ある同僚は、「根箭さんは多分、広汎性発達障害だと思うで」と言ってきた。
 『コウハンセイ』という言葉が初耳だったので、漢字でどう書くのか分からず(先の研修でも出てこなかった)、『広範性』だと思っていた。その同僚は、「もし良かったら、私と一緒に『こころの健康総合センター』に行ってみるか?」と尋ねてきた。『大阪府こころの健康総合センター』、あの、『発達障害者のニーズ』の講座の資料にも、登場していた名前である。
 「そこで発達障害であるかどうか、検査を受けられる」と説明されたのだが、私は一瞬その話に飛び付こうとするも、躊躇してしまった。


 今思えば、「何故あそこで、思い切って行ってみなかったのだろう?」と疑問に感じたりもするのだが、その時は、しばし迷った末、結局診断に行くのを断念したのだ。何故か?
 理由は、発達障害と診断されるには、自分は“軽度過ぎる”かも知れないという思い(不安?)が、頭をよぎったからである。
 あまり自分が障害者であることを、自分で変に期待≠オて、その結果『あなたは健常者です』という診断が下ったら、かえってショックを受けることは充分に考えられた。
 このころ、私は『ボーダー(障害者と健常者の境界線上にいること)』という言葉を知っており、自分自身が当てはまると思っていた。そのため、もし正式に『健常者です』と言われたならば、いわゆる一般的な健常者像に近付けない現状に対して一層焦ってしまい、挙句激しい自己嫌悪に陥るのは目に見えていたのだ。


 もう一つ、自分一人のために、一日同僚に付いてきてもらうことに対して、「何か悪いし、少々気恥ずかしい」という気持ちもあった。「だったら一人で行け」という話に当然なるが、正直言って、自分のことを客観的に説明出来る自信は、当時の私には無かった。説明している内にどうしても熱くなってしまい、しまいには、『障害があるって判定して下さいよ』と言わんばかりの態度に出るかも知れなかったからだ。そんな状況は作り出したくなかった。


 この頃、実は一度上司から、「君は多分発達障害と見なされるだろう」という旨のことを言われていた。
 先の研修で聞いた、『就職活動が大詰めになると手帳の交付が増える』という話について報告した時だ。私は「発達障害者のニーズの講義の時同様、ビックリして内心目を見開いた」と、興奮を抑えつつ話したのであるが、それを聞いた上司はこう言ってきたのだ。
 「根箭君が就職活動をしてたのは、10年も前やろう?だから或る意味、時代が早過ぎたんや。今、もっと根箭君が若くて就職活動をしていたら、多分発達障害ということになってたん違うかな」


 ・・・・・なるほど!!私は、何か確かな手応えを感じるような気持ちになったが、現実の私自身は、就職を果たしている。それも障害者を支援する団体に就職していて、障害者枠で雇用されないと、周りの理解を得られず解雇されるというのは有り得ない。
 「う〜ん・・・・・」 私はその日帰宅した後、腕を組んで考え込んだ。


 そんな中、この間『こころの健康総合センター』のことを紹介していた同僚が、こんなことを言ってきた。
 「例え本当は障害があっても、その人が社会環境に適応出来ていたら、障害者だと認定されなくても大丈夫なんだよ。社会の中に、自分が受け入れられる場所があって、周りが理解してくれるんやったら、その時点で、障害があることは全然問題じゃなくなってくる。だから一生診断を受けずに、健常者として生きていけばいいし、現にそういう人はいるで」


 「そうか・・・・・!」 これはなかなか、目からウロコであった。自分は今の職場に適応出来ているし、受け入れてくれる社会環境がある。
 いろいろな考えを聞いたここ数週間だったが、モヤモヤしていた気持ちが、スッキリとまとまったような気がした。


 その後、私は別の数人の同僚から、「早く障害者手帳を取った方がいいよ」と言われたことがあった。その時は、自分が障害者として見られていることに一瞬ハッとして、或る意味『我に返った』ような気持ちにもなったが、当面、障害者と診断されることも、手帳を取得することも必要ではないと感じていたので、結局言われたことを行動に移すことはなかった。
 現在、実際に発達障害と診断された私にあっても、手帳取得の必要性は感じていない。



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【40歳からのニューアイデンティティー  広汎性発達障害と診断されて】