自己操縦 三歩以内に ミス連鎖

 『健常者の看板』は、毎日背負っていた。
 朝起きてから夜寝るまで、常に『看板』の存在を意識していたし、その一方で、傍らには僚友として『発達障害』というキャラクターがおり、常に歩みを共にしている、というのが実感であった。


 健常者としての道のり・・・・・、その実体はしかし、しばしば目を覆う惨状≠ニなっていた。理由を挙げればキリがないが、最大の理由はこれ。
 『ミスが多い』!!!
 しかも、一度ミスをすると止まらなくなり、「次こそは!次こそ訂正!次こそは!」とガンガンに気合いを入れるも、“どうしても”ミスを連発させてしまう(今こうしてキーボードを打っている時でさえも、例えば、Shiftプラス数字キーを押そうとして、いつも先に数字キーだけを押してしまったり、全角文字を打ったつもりが半角英数だったりしていて、実際に画面に出た表示を見て混乱している)。そのサマはさながら、『何かに操られている』様であった。
 変な言い訳だと怒られるのは承知だが、自分の実感として、とても自分の意思が反映された行為とは思えないのである。


 日頃体験している主だったミスを、以下に列挙してみる。なお、これらのミスはそのほとんどが、少なくとも学生時代からずっと繰り返し体験していることである。


@書き間違い連鎖

 文字を書こうとして、2〜3文字に一度、書き間違える。自分が何を書くべきかは勿論、完璧に把握しているのである。しかも何か難しい表現とか、難しい漢字を書く訳ではなく、単純に、聞いた事を正確にかつ素早く書き写すとか、一つのノートに書いたものを、別の記録用紙にパパッとコピーするとか、そういう、誰でも当然の様にやっている、単純な事務行為である。それが、全力投球の大作業みたいになってしまうのだ。
 「どう考えても、これは有り得ない。絶対にあってはならないだろう!」と、しばしば自傷行為(さすがに人前では極力押さえ、家に帰ってから。でも、人前でやってしまった事もある)も交えて叱咤警告するのであるが、面白い様にいちいち書き間違いをしてしまい、丸で書き間違える事が目的で机に向かっているようである。


A打ち間違い連鎖

 パソコンのキーボードに指を置き、ごくごく簡単な、何文字かの言葉を打とうとしただけで、指が操られるかのように、全ての文字を打ち間違える。頭の中では既にどんどん先に文章が(仕事が)進行しているのに、実際の画面上では、打ち間違いばっかりするものだから、一向に入力が進行していかない。
 自分が向かうべき目標から、無理矢理後退させられている様な錯覚を覚え、イライラするあまり自傷行為に走ったり、キーボードを叩きつけたりしてしまう。今、このエッセイを入力している間にもそれは起こっていて、押したいボタンの隣のボタンを押すケースが最も多い。
 パソコンだけでなく、携帯電話のボタンでも、連続の押し間違いは日常茶飯事である。押し間違いが続くと身体が緊張し、力がこもり過ぎて、指先ではなく、肩や首で指先をコントロールするようなイメージになり、実際に激しく首や頭を振ってボタンを押す時がある。


 さらに、テレビのリモコンの操作もかなり苦手で、注目の場面を見るのに音量を上げようとして、間違えて隣のチャンネル切り替えのボタンを押したことが何回もある。逆に、チャンネルを進めているつもりが、間違えて音量のボタンを押し続けており、急にテレビの音が大きくなった理由が自分で解らず、パニックになることが度々である。
 私は相撲ファンであるが、テレビで相撲観戦をしている時に、注目の取り組みになったので音量を上げようとしたら、間違えて横の電源のボタンを押してしまった。当然、テレビの画面は消えてしまうわけだが、最初は何が起こったのか分からず、次の瞬間、自分のミスに対して怒りが爆発して、思わず電源をもう一度入れた時には、もう取り組みは終わっていた。


B言い間違い連鎖

 ある言葉を口にしようと思ってうっかり言い間違えると、延々に言い間違えて訂正が出来ない。文字を書く時同様、この時も、口自体に意思が操られている≠ゥのごとく、思っているのと違う言葉が出てしまう。それは発音的にも意味的にも、本来言おうとしている言葉に近かったりはするのだが、言おうとしている言葉そのものではないのだ。
 言い間違いの連鎖の中でも、いつも一番目立つのは、『母音は合っているのだが子音が入れ替わってしまう』という現象だ。具体的には以下のとおりである。

「平成25年」(へいせいにじゅうごねん)→(へいじゅうごねん)
「朝パンを食べた」(あさぱんをたべた)→(あぱさんをたべた) 
「何か言ってたかな」(なにかいってたかな)→(なにいったかな)
「それ、今度やるわ」(それ、こんどやるわ)→(れ、んどやるわ)

 この様な言い間違いを、まるで習慣病みたいに繰り返すのである。
 
同じ言い間違いが続くと制御不能になり、それでも相手に伝えたい時には目をつむり、こめかみを手で押さえて神経を集中させ、目の前に仮想の原稿を書いて、それを手でなぞって読む動作をしながら、伝えるようにしている。間違いやすい箇所の手前では、一拍呼吸を置いてから喋る。


C記憶力の問題

 『ものを忘れたことがない』という人は、絶対にいないだろう。誰でもうっかり忘れたり記憶が抜けたりすることはあるが、私の場合は極端にひどい。そして妙に特徴のある記憶の抜け方をしている。
 例えば、いつもやっていて分かっているはずの事が、急に記憶が飛んで出来なくなったり、順番を忘れてしまったりする。「誰でもそういう事はある」と言われるだろうが、要は頻度の問題で、非常に頻繁に起こるし、いつ、どのタイミングで起こるか分からないのである。急に発作の様に、ある段取りの部分の記憶がスコン!と抜けるから本当に焦るし、不便極まりない


 記憶が抜けるといえば、何か話している途中、少し深く息継ぎをした瞬間などに、突然、たった今何を話していたのか忘れてしまい、一瞬訳が分からなくなって、それっきり話を続けられなくなることがある。何の前触れもなく瞬間的に記憶が抜けるので、パニックになるのである。非常に大事な話の最中に“瞬間記憶喪失”が起こると、本当に困るしいろんなことに支障をきたすのだが、起こらない保障はない。
 また、『カバンに物を入れる』、『コピー台の上に原版を置く』などして、物が一旦視界から離れると、その隙に記憶から『物』の存在が消えてしまう。「人に渡すように」と言われて預かった物が、カバンに入れてそのままになっていたり、コピーをして原版を取り忘れたままその場から去っていくことが多い。
 これらの“記憶疾患”があまりにも激しい時は、自分を認知症だと疑ってしまう。


 普段、出掛ける時にもよく忘れ物をするので、マメにメモを書くようにしているが、それでも何か一つだけ忘れることが多く、しかも殆どの場合、いったん靴を履いて外に出たことがスイッチになって、忘れ物に気付く。
 危ないところでは、朝、ガスでお湯を沸かしている時に、ガスコンロのスイッチを切り忘れたまま、元栓だけ締めたことがあった。あんまり何回も続くから、物忘れ防止のメモを貼って、その後は常にそれを見ることで、コンロのスイッチを忘れずに切っている。


 さて、私には聴覚的情報がすぐに記憶から消え、なおかつ視覚的情報には瞬時に反応し過ぎる傾向がある。
 例えば『この枠には何も予定を埋めるな』という指示が出ても、その直後に誰かに「この枠に予定を書き込んでもいいですか?」と訊かれて、パッと枠を見て空いていたら、『空いている』という視覚情報に思わず反応し、「いいです」と答えてしまうのだ。この瞬間、私はつい先程聞いた指示の記憶が全く残っていない。


D状況反応のミス(遅さ)

 私は、健常者であることの条件の一つを、『反応が早いこと』だと思っていた。
 だから周りの動きに早く気付き、早く反応して正確に動くことを義務付けてきたつもりなのだが、実際には、正確に動こうと構えておきながら、焦って余計な動きをして墓穴を掘るか、緊張で固まってしまって必要な動きが取れないか、どちらかで終わってしまうのが常であった。
 大抵、デジカメなど、物を操作する場面では、『余計な動きをする』ほうの失敗をする(単純に使いこなせていないというのもある)。そして、人に何か手出しや手助けをしなくてはならない場面では、『必要な動きが取れない』ほうの失敗をしてしまう。


 目の前の一点に神経が集中している時など、すぐ横で何かが起こってもなかなか気付くことが出来ないため、万事反応が遅れてしまう。反応が早い時やとっさに気付く事も、あるにはあるのだが、正しいタイミングで的を射た反応が出来る率は低い。
 同じ反応でも、今目の前に飛び込んできた状況のみに反応したり、取り敢えず手前の物事だけに注意が集中して、本来反応すべき方向には丸っきり注意が向いていないことが多い。


E二者択一でのミス

 これは職場ではなく、実家でよく体験していたことだが、例えば布巾が2つ掛かっていて、『こっちは食器拭き用。こっちはテーブル拭き用』と分かれていたとしたら、何度気を付けてもどうしても逆に覚えてしまっていた。間違えた当座は非常に悔しいから、「今度こそ絶対に覚えるんだ。もう間違えないぞ」と気合いを入れて、布巾を指差しながら自分で声出し確認するのであるが、次に使おうとするとまた記憶が混乱してしまい、焦った挙句、結局間違えた方を使ってしまう。
 同じくスイッチ類でも、例えば電気のスイッチが2つあると、5回に3回は、正しいのと反対のスイッチを押してしまうし、水道の蛇口でも、カランとシャワーをよく間違える。


 ・・・・・・以上、主だったミスだけでも、日常、これだけ繰り返しているのであるが、これ以外にもまだ何点かある。

(1)とにかく気付くタイミングが遅く、例えば、一度靴を履いて外に出てから初めて忘れ物に気付いたり、ホームページをアップしてから初めて誤字脱字に気付いたりする。事前にチェックしている時や時間のある時は、いくら考えて注意しても何も思い出さない


(2)物を探す時に、それが目の前に在っても、無意識の内に焦り過ぎているのか、脳が認識しない。また、探している物が自分のイメージと違う状態で置かれていた場合(裏表逆とか、違う向きとか)、全く気付くことが出来ない。


(3)履き物を脱いだ後、今脱いだばかりの履き物につまずいてしまう。また、物を置いた後、放した手を自分の身体の方向に動かす過程で、今置いた物にすぐぶつけてしまうほか、足元に注意して歩き始めた直後や道を歩いている時に、本当によくつまずく


(4)財布から小銭を出そうとする時や、釣り銭の小銭を受け取る時など、細かい物を摘むのが苦手で、しばしば下に落とす。しっかり摘むことに集中するあまり手の指が上手く動かず、自分の意思と無関係に腕ごと震えてしまう。


(5)自分で思っている自分の体の位置と、実際の体の位置がズレている時が多く、壁や手すりなどによくぶつかる。逆に、「拾おう」「掴もう」と思って空振りになる。体の動線が、イメージしている動線とズレていることが多く、不意に手が周りの物に当たってビックリする。


(6)レジュメやテストなどで、紙の両面に印刷されている時に、表面だけしか印刷されていないと思い込むことが多い。だからレジュメも読み飛ばすし、テストでも、裏面に問題が書かれていることに気付かず、後で何かで知って非常に悔しい思いをした。



 ところで、いきなり話が先に飛んでしまうが、のちに私がメンタルクリニックで発達障害であるか否かの診断を受けた際、上記のミスの内、少なくとも@〜Dと枠内(1)〜(3)については、発達障害の典型的な特徴であることが判明しのだ。
 あまりにも事も無げにそう教えられて、私はビックリすると同時に何だか拍子抜けしてしまったが、目からウロコ≠ニいう気持ちにもなった。
 というのも、長らく私はこういうミスは、私個人の特有の現象であり、全て私個人の問題であると認識してきたからだ。
 だが、このように述懐出来るのは、飽くまでも診断が下った今だからである。


 『健常者の看板』を掲げて生きていくことしか頭になかった30代前半当時、私は来る日も来る日も、およそ受け入れられないタイプのミスの連発に、歯軋りをする毎日だったのだ。もちろん、自分なりにミスを無くす工夫はした。だけど、それが第三者の目には充分な工夫と映らなかった時もあるし、実際、自分の工夫ではなかなか効果が出なかった。


 さらに正直に言うと、私にはある変なプライドがあった。それは、『本来、健常者ならここまで工夫しなくてもやっていける筈だから、丸で自分が健常者でないみたいに、特別に工夫ばかり重ねたくない』というものだ。今考えると誠に愚かで、恥ずかしい限りである。
 工夫することそのものが苦手であるが故の、強がりだったのかも知れない。
 このような、どうしようもないジレンマを抱えつつ、私は、いつ決着が付くとも知れぬ『自分との格闘』を、連日連夜強いていたのである。


 「何を大袈裟な!考え過ぎじゃないのか?人間は誰でもミスをしたり忘れ物をしたりするだろう。いちいち深刻になり過ぎるのがおかしいんだよ」
 こう、人に指摘されたり呆れられたりすることも、何度もあった。
 でも、違うのだ。何が違うのかが上手く説明出来なくて歯痒かったが、実感として、やはり『人間誰でも』と同じではないのである。


 「そうやって、すぐ自分だけが特別と思い込む。本当に変な癖」 と人から言われたこともある。
 だけど、現に特別・・・・・いや、特別とまでは言わずとも、繰り返しになるが、違うのは違うのである。誰でもミスをするのは先刻承知で、何も『私以外の人間はミスをしない』とは思っていない。
 ただ、やはり頻度や程度の問題というのがあって、私の場合は明らかに、どこか自分でコントロール出来ないところで、頭がしんどい機能の仕方しかしていないのである。


 【私にとっての、『頭脳がパーフェクトに機能している状態』は、普通の人にとっての、『いつもよりかなり調子が悪い状態』に相当する】。
 そんな実感しか持てなかった。


 コントロール・・・・・、別の言葉に置き換えると、『操縦』である。
 話が急に先に進むが、私は36歳だった2010年3月に、職場からの指示で、『もっと はたらける』というタイトルの研修に参加した。講師を務めていたのは自閉症の息子を持つ母親で、自閉症という障害があっても大人として自立し、一般就労を果たすには何が必要か?というテーマで、本人(講師の息子で、この当時20代前半)、親、社会がやるべき事を語った。
 この中で、非常に興味深い話が出てきて、講師曰く「ある日私が息子から言われた言葉」ということだったが、以下の言葉である。


 【オレの中のオレ。オレの操縦が下手だ】


 講師の息子は、自分で自分が自閉症である事を解っており、そのため、自閉症であるが故の葛藤は、本人自身が日頃感じているという事である。上の言葉は、「自分が自分をコントロールする時に、いろいろなところにぶつかったり、思いも寄らない基準を発射≠オてしまったりして苦労する」、という気持ち(もどかしさ)を表しているという事で、何か私に強烈に通じるものがあると感じずにいられなかった。


 【オレの操縦】・・・・・、言いえて妙である。私こそ、まさに己の操縦が下手だ。私は自分で自分の特徴が解っており、そのため、自分の特徴であるが故の葛藤は、自分が一番よく感じている。そして自分をコントロールする時に、いろいろ予想出来ないアクシデントを引き起こしたり、こだわりを発射≠オてしまって苦労する・・・・・。


 何と自然に置き換えられるのだろう!私は、『自己操縦』という言葉を、この時から頭の中で多用する様になった。自己操縦・・・・・私の人生、毎日が自己操縦である。そして三歩と進まずにミスの連鎖が起こり、ヒステリー状態になる。
 論理できちんと動けばいいのに、残像とイメージだけで飛び出すように動いてしまい、すぐに「あ!」と失敗に気付いて後悔している・・・・・。


 ことに本来は難しくも何ともなく、あまりにも単純過ぎてミスが発生する余地すら無いという場面で、私独特のミスをした時には、それはもう、操縦桿を引きちぎりたくなる様な衝動に駆られるのだ。「お前は、ミスを生み出したいのか!?」と・・・・・。
 そんな自分に対し、私はいつも、『ドジニング』という造語を当てはめていた。『ドジなハプニング』の略語でもあり、『ドンくさい、ジレンマ、ハプニング』を合わせた言葉でもある。


 人の何倍もの時間を掛けて、多くのミスに行く手を阻まれながら、たった一つの小さな作業を終えた後は、ただただ疲労困憊で思考も停止状態になり、十何時間もぶっ続けで働いたみたいな脱力感に覆われてしまう。
 誰でも当たり前に目標とする、【ミスを無くす】ということ。私にとってこれは、健常者との対等圏内に入る上での『究極の目標』であった。


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【40歳からのニューアイデンティティー  広汎性発達障害と診断されて】