【健常者の看板】人生、ピークの頃

 社会人の人生にとって、30代前半〜後半に掛けてというのは、仕事などの経験値が増え、それが世間でも認められるようになってきて、自信が付く頃だと思う。もちろん、これはごく一般的な話であり、実際には人それぞれであるが、大体において、気力・体力ともまだまだ充実しており、その意味では一つのピークと言えるかも知れない。


 私にとっての社会人人生というのは、基本的に『健常者の感覚に近付くこと』、『健常者のペースに追い付くこと』であった。特に若い頃、一般企業でアルバイトをしていた当時は、これが全てと言ってもよかった。この2つにひたすら精根使い果たし、あとは何をする力も残っていなかったのである。そういう意味でも、20代の頃の私は、ひたすら低空飛行≠ニいうのが実感であった。


 しかし27歳で現在の職場に正職員として就職し、30代になって経験値が増えてくると、一般の健常者の感覚も、ある程度受け入れられるようになった。そして30代半ばになった頃には、自分でも『健常者並みのレベルにまで成長してきたぞ』と、手応えを感じていたのである。
 では、どんな時に手応えを感じたのか?仕事の時も勿論そうであるが、寧ろプライベートな時間で社会的な場に出た時に、最も感じていた。


 具体的には、例えば冠婚葬祭で親戚や関係者といった大人と接する時に、いろいろと周囲に気を配ったり周りの人の立場を考えて動くことを、自分から率先して出来るようになった。以前なら同じ出来たとしても、親から「少しはちゃんとしなさい」と言われて、しぶしぶやっていたという感じだったのだが、この頃は、「きちんと振る舞わないと人前で恥をかく。やはり恥をかかないようにしなくては」と、自ら意識するようになっていたのである。
 また、「一市民として」とか、「地域社会として」など、自分を個人以外の公共体として認識する感覚も、従来は非常に弱かったのであるが、そういう感覚を意識して「持とう、持とう」と思うようになった。自分個人の感情と、『日本人』・『豊中市民』といった公共意識からの感情を、両方バランスよく持つ。そうしたことにも意欲的に取り組むようになっていったのだ。


 『人より遅れて大人になったということ』の一言で話は済むのかも知れないが、私自身の中で、自分にこのような変化をもたらしたものは、やはり仕事での色々な経験であった。
 その一つに、市民講座がある。これは私の職場で毎年、障害福祉をテーマにて開催されるのであるが、豊中市委託事業として、絶対にやらなくてはならなかった。私は30代半ば前後、西暦では2007〜2011年頃に掛けて、市民講座のメインの担当になることが多かったのだ。特に外部への講師依頼や打合せ、当日の講師や関係者への接待というのは、一番気を遣うべき仕事である。このような場面で動くことが多かった私は、『人に来てもらう』、『こちらのために都合をやりくりしてくれる』ことの有難みや重みを、感じられるようになったのかも知れない。


 この2007〜2011年頃というのは、【健常者の看板を背負う人生】としては、まさしくピークだったと言える。
 一番私が、健常者の感覚に近付こうと精進・努力し、一般の社会性を取り入れようと意欲を燃やしていたのが、この時期であった。そこまで頑張るのは、実際には広汎性発達障害だった私にとっては、かなりしんどいことだった筈である。


 事実、気が張り過ぎて後で脱力状態というのは、正直目立っていた。それでも、【健常者の看板】というものへの強いこだわり、そして何よりも、一般の大人像、健常者像への、飢えるような憧れというのがあった。その想いが、私を突き動かしていたと言える。そこへ仕事の経験値が増えてきて、責任も徐々に重くなるという『張り』が加わったから、ピークと呼べる力が出たのだろう。


 もちろん、ピークだからと言って、何もかもがそこまで優れていたのかというと、決してそうではない。
 相変わらずマイペースな振る舞いはしていたし、失敗が続いてパニックになる時もあれば、ドン臭いミスばかり繰り返して周りに笑われることもあった。しかしそうした中でも、恐らく体力もまだまだ充実していたからだろう、己をどんどん引っ張ることが出来たのである。
 若い頃より一般常識が身に付いたという変化を、人に認められることが何よりの自信の源であった。


 仕事の面でも、当時は自らに輝きを感じていた。
 2007年の春には、若い新卒の職員が入職し、私は自分が先輩だと意識しつつ、時に厳しく叱咤・指導もしながら、ちょうどこの時期に与えられた、『周りに仕事を振る』という課題にも取り組んでいた。
 また、この年の5月〜6月に掛けては、ヘルパー養成講座を受講生も、実習生として何人もの人が私の職場を訪れ、自分もいろいろ教えたりすることに力を注いだ。


 2008年になると、職員歴丸10年となった私は、自分の職場の歴史概要や年譜を、自らが出来る仕事として作成し始めた。人に仕事を振る能力が徐々に身に付いてきた一方、こうして自分だから出来るという仕事を創り出せたことは、大変誇りであった。歴史概要は当面は表に出ない参考資料扱いとなったが、年譜は職場のホームページ上でも公開され、現在も更新は続いている。


 2009年3月には、介護福祉士の資格を取得した。実は前年にも受験しており、その時は筆記試験で落ちてしまったのだが、2度目の挑戦では筆記試験に合格し、そのため、初めて実技試験を受けることが出来て、それも合格したので、晴れて資格取得となった。
 元々、資格を取りたいという気持ちはなく、学力的にもとても自信はなかった。勉強の要領だって全然良いほうではなく、それもあって1度目は落ちたのだったが、めげずに2年連続で受験したのは、ひとえに気力の充実が続いていたお陰である。
 このような成功体験も、ピーク時だからこそ成せる業。もし今初めて受験したならば、恐らく気力的にダウンして不合格、そして2度目もなかった。


 2010年3月、先程も少し触れた市民講座(2009年度第2回)を開催した。
 そしてこの時のテーマは、発達障害だったのだ。講師へのアポイントや当日までの調整の担当は、この時は私ではなかったが、テーマがテーマだけに心に期するものはあった。講師を務めたのは、大阪府立の高校の教育専門員、Yさんと、発達障害当事者のKさんである。
 以下、少し講演内容を抜粋する。

・最近は、発達障害と診断される事が、ある意味トレンドみたいになっている風潮が見られる。例えば、『今まで気にいらない事があったけど、それが発達障害のせいだと思えば気楽になる』とか、そういうある種の便利さがある。それは危険な現象だと思う。


・厳密に言うと、発達障害というのは『知的障害はない人』という事になってはいるのだが、実際にはしばしば、同じに解釈されている。


・知的障害(のある発達障害)者の場合、実際には、犯罪の被害者になるケースが圧倒的に多い。それなのに偏った報道等によって、『加害者である』というイメージを持たれてしまっているのが現状である。


・知的障害(のある発達障害)者は、知らない人だったら、されてビックリする様な行為をする事がある。豊中の街でもそういう“ハプニング”が起こった事はあるが、例えば学校の同級生(健常児)が、本人の特徴をうまく説明して、周りの人から理解を得たケースもある。
・現在24歳。学習障害の当事者であるが、障害がある事が分かったのはほんの1年ほど前で、それまでは健常者として生きていた。障害の診断は、職場の人からの一言が切っ掛けで受けた。


・中学時代は野球、高校時代はラグビーと、スポーツにも打ち込んでいたが、サインを覚えるという事が出来ず、監督はもとより、後輩からもよく怒られていた。


・周囲からは「どうしようもないほど、ドンくさい」言われ続け、それに対しては、『あくまでも自分の問題』と捉えていた。


・医学モデルに偏った障害の判定の仕方には、疑問を感じている。IQなど、特定の方法だけで、数値にこだわった判定基準にするのではなく、その人個人の状態に目を向けて、その人に合った支援をしてほしい。

以上、上段=Yさん、下段=Kさん

 Yさんの内容の1つ目については、特にこれからの私は意識しないといけないと感じる。常に自分を厳しく律して、『自分の都合のための障害者』とならない様に、日々自問を重ねていきたいものである。
 Kさんの体験には、さすがに私も共通点というか、かなり類似している部分がある。中でも『あくまでも自分の問題』として捉えていた、というのは、私も障害が判定されるその時まで、何が起こってもその様に捉えていた。
 そしてKさんの内容の4つ目については、私も賛成であると同時に、私自身がIQという数値を軸に自分を見過ぎないよう、肝に銘じておきたいと思う。


 さて、このようにして私は、日々いろいろな仕事に取り組んだ。人前で講師を務める仕事もやったし、私生活の場面でも、「俺は仕事でこういう立場も味わっているんだからな」と、常に社会人としての、一番常識的に見えるラインを目標地点に定め、そこへ辿り着けるように頑張った。


 しかし人生、ピークというのは永久には続かないものである。
 このあと2011年に入ると、前半はまだピークの状態を維持していたが、後半以降、体力的には曲がり角を迎えていき、さらに2012年になると、制度改正を見据えての業務環境の変化に伴い、苦戦を強いられるようになる。



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【40歳からのニューアイデンティティー  広汎性発達障害と診断されて】