いざ、駆け込み寺へ!専門医療機関にて診察

 2013年度・・・・・、制度改正(多くに於いて改悪)の渦の中で、年度はスタートした。
 計画作成のケース増加に対応する一方、豊中市委託事業としての年間事業も、しっかり行わなくてはならない。これは委託事業所として当然のことである。年間事業の内、【講座関係】となるのは、市民講座や自立生活プログラム講座、それに体験講座であった。


 従来、健常者が主担当となる場合は、講座関係など、単独で担当の場合が多かった(私の感じる限りでは)。過去、市民講座や体験講座の担当を、私も度々単独でこなしてきたが、このころは、私が担当する際は専ら複数担当になっていた。
 切っ掛けは私自身が、「講座担当は、計画作成や点字名刺との掛け持ちで手が回らない。キャパシティー的に限界」と訴えたことであった。
 当初は担当は単独体制のまま、人を誰かに代えるという意味で訴えていたのだが、これに対して職場は、「そもそも何事も、一人で何から何まで抱えるような構図になってしまうのは良くない。複数で担当すれば、個々の負担も和らぐ」という見方を示してきた。


 そのため複数担当となったのであるが、複数の場合はやはり、担当同士の意思の疎通や、密な打合せが重要になる訳で、私はその部分でも(昔からずっとであるが)苦手だった。
 自分が忙しい時、ほかの担当者に相談・指示出しをすることが、あまり上手ではないし、何か問題が起こった時は、いざ自分が解決策を考え付くや、一人でババーッと動いてしまうのである。
 当然、こういうタイプは周りからすればヒヤヒヤするので、それについては事あるごとに指摘を受けていた。


 かつては、【上手く周りに仕事を振る】ということを意識していた私も、複数でシェアすることが難しい(と感じる)業務が増えるにつれて、適材適所仕事を振る任務が疎かになり、そのことが、周りをさらにヤキモキさせていた。
 従来、私はどこに行って誰と関わっても、そこで必ず自分の悪いほうの特徴が、顕著に現れていた。その特徴とは、【周りを不安にさせ、迷惑を掛ける】である。
 もちろん、「それでもいいんじゃ」と開き直ったことは一度もないし、人に迷惑を掛けないように気を付けるのは、人として基本中の基本だから、常に肝に銘じていた。しかし、悲しいかなあまりにも気持ちに頭が付いてこず、バラバラになってしまうものだから、最後はいつもサジを投げたくなる状態に陥ったのだ。


 今の職場に就職し、30代になって以降も、周りに不安を与えたり迷惑を掛けたりしたことは、当然という言い方をするのも問題だが、あったと思う。それでも、敢えて大きく見れば、仕事に『付いていっているタイプ』と『付いていけてないタイプ』では、前者のレベルに達しているという、いささかの自負はあったのだ。
 今回、それを返上しなくてはならないと思った。
 そして、運命が大きく変わる引き金となる出来事がやってくる・・・・・。


 2013年10月21日・・・・・。
 私は、新しく担当することが決まった計画作成の本人宅に出向き、ケース会議に望んだ。この時のケースは、担当者が私以外にもう一人おり、私はそのもう一人から、会議開催の旨を伝え聞き、当日、同席するよう言われた。会議について詳しいことはあまり分からなかったが、実際に同席する中で、いろいろなことが把握出来るものと期待していたのだ。もう一人の担当者は、直前になってどうしても出席出来なくなり、代役の職員と私の2人で、いざ会議に赴いたのだった。


 現地に行ってみると、私が聞いていたよりも遥かに沢山の機関の、沢山の人が集まっていて、「すごい大人数だなあ!」とビックリした。一部を除いて初対面である。
 「これはかなり大きな会議になるぞ」と気を引き締めながら、いざ開始の時を迎えたのだが、どういう訳か全員シーンとして、なかなか始まらない。
 「???」と思うこと十数秒、他の出席者全員が私を見ていることに気付いた。
 「・・・・・え!?」
 そう。集まった出席者の中では、司会進行が私ということになっていたのである。ということは、会議の招集者も私だと思われていることになる。慌てたのは私自身だ。そういう役割だと意識せずに同席していたから、急に立場が司会進行になって、頭の中が引っくり返ってしまった。


 ちなみにもう一人の、担当者の代役で来ていた同僚は、私の補佐をするように言われていたそうである。でも、人に何を補佐させたらいいのか、自分でも解らなかった。
 取り敢えず、私が何か言わないと会議が進まないのだと判り、アタフタしながらとにかく物を言った。言ったのだが、どんなことをどういう順序で言ったのか、記憶が飛んでしまってよく憶えていない。少なくとも最初は本人のニーズを訊いていたはずだし、本人からの回答もあったと思うが、そこから先は本当にグチャグチャで、気が付いたらほかの出席者の人たち(恐らくもう本人さんとの関わりは長い)が、代わる代わる報告したり本人に質問したりして、会議が進んでいる状態だった。


 急な責任に対応出来ないまま、完全にパニックに陥った私は、会議が終わって皆が本人宅を出る頃になって、ようやく我に帰った。既に薄暗くなっており、時計を見たかどうかはよく覚えていないが、多分1時間半ぐらいは会議をやったのだと思う。でも、長くてもそれだけ沢山の内容があれば、本人にとっても出席者にとっても時間の無駄にはならなかった訳で、そのことがせめてもの救いであった。
 帰り道では、再び放心状態だった。全身の力が抜けているような状態で、一旦職場に戻った後、家に帰ってから何故か急にドキドキしてきたのである。


 遅れて緊張が蘇ってくるのだろうか?冷や汗を掻き、鼓動が速くなる。パニックの場面がありありと再生されてきて、その中でとっさに私は、あることを悟った。
 『健常者は・・・・・・・・・・もうダメだ』


 これまでは、「一生背負えたら本望」とばかりに、強気な気持ちにもなりつつ健常者の看板を背負い続けてきた。この看板にこだわっていたからこそ、緊張感を維持出来た面が多々ある訳だが、ここに来て、初めて本気で投げ飛ばしたくなった。
 「弱くなったか・・・・・」 そう認めざるを得なかった。健常者から逃げるということは、一番気を張る第一線から退くことだと捉えていたから、もし逃げたら、あとの人生はどうなっていくのか、見通しが立ったものではなかった。しかし・・・・・、


 翌10月22日朝、私は起きるなりあるところに電話をかけた。かけた先は、大阪市上本町に在る、Tメンタルクリニックである。
 私が何故このクリニックを知っていたかは後で述べるとして、この時の電話の目的は、診察の予約をすることであった。
 今までにも何度も味わっているが、初めてのところに、意を決して電話する瞬間というのは本当に緊張する。いかに相手が、相談対応してくれる機関と言えどもである。
 「もしもし」
 相手が出ると、私は案外普通に、「そちらを利用したいと思っているのですけど、予約はこの電話で取ってよろしいのでしょうか?」と訊けた。
 「診察ですか?カウンセリングですか?」と訊かれたので、私は少し間を置いて、「両方」。
 結局、この日のちょうど1週間後、10月29日の昼間に予約を抑えることが出来た。電話をしたその日に行けるとは流石に期待していなかったが、次の平日の休みの日に早速予約が取れたというのは、本当にラッキーだった。やはり通院が絡む人にとっては、世間が平日の日に休みがあることが不可欠である。


 果たして、2013年10月29日、いつかは来るかもしれないと思っていた上本町のTメンタルクリニックに、ついにやってきた。
 最初に入口のドアを開けた瞬間は「来たぁ!」という、高揚感にも近い気持ちが溢れてきた。
 ところで、この時の私の診察先が、豊中からかなり離れた上本町のメンタルクリニック(以下、Tクリニックと称す)になったのは、何故なのだろうか?


 それは、Tクリニックが、【大人の発達障害を診断出来る医療機関】だったからである。通常のクリニックなら、カウンセリングが行われて抗うつ剤などの薬が処方されるが(私も過去に経験あり)、障害があるかないかというテストや診断は出来ない。それに対してTクリニックは、発達障害の診断、それも【30代以上の大人も対象に】診断をするという、全国でも数少ない医療機関なのである。
 40歳になっていた私にとっては、まさに【駆け込み寺】という存在であり、開業したのはこれより僅か2年前だから、新しいクリニックなのだ。
 では、その新しいTクリニックの存在をいつ知ったのか?実はこれより半年前、上司が教えてくれていたのである。
 ある日、上司は私にこう語りかけてきた。


 「根箭君は今年で40歳になるのか?ある意味節目やな。その節目を機に、自分の本当のこと知ってみたいとは思わないか?前から根箭君、自分に発達障害の傾向があるとか、すごい気になっていたやろう?だからここでハッキリさせたら?と・・・・・。今まで日本には、30にも40にもなった大人を対象に発達障害の診断をする病院は、なかなか無かったんやけど、最近、大阪にも1ヶ所出来たんや。インターネットから、その病院のサイトを印刷したから、渡しておく。無理にとは言わないし、診断してどうなるかは判らないけど、もし行こうと思うのであれば、行っておいで」


 「はい・・・・・・へ〜え」と、私はしばしそのサイトを見つめていた。
 『大人を対象に発達障害の診断をする病院がなかなか無い』というのは、私もどこかで聞いたことがあったと思うが、それより何より【健常者の看板】にこだわっていたから、『病院を探してみる』という行為は、一切していなかったのだ。
 思いがけず上司からこの様な情報をもらって、私はにわかに診断に興味を持ち始めた。もう8年も前の話になっていた、障害者ケアマネジメント従事者研修での体験が、久し振りに脳裏に蘇ってきた。


 時まさに、【健常者の看板】が大きな曲がり角を迎えていた頃である。私は看板を背負い続ける最後の頑張りを見せながらも、いずれ将来、一度は訪ねることがあるだろうな、と予感≠オていた。その予感が、この日現実のものとなった。いざ初診である。


 「根箭さん、どうぞ」
 診察室から名前を呼ばれると、私は「いよいよ、来た!」と思って中に入った。そして先生から、「初めてですね。どうされましたか?」と訊かれた私は、咳を切ったようにいろいろな体験や思いを話し始めた。


 ・・・・・・何年分の思いを吐いただろうか?
 古くは小学校低学年ぐらいの話にまで遡ったが、中心は飽くまでもここ最近のことと、あの8年前の研修のことである。
 特に最近、実は仕事以外の場面でも、コミュニケーションで失敗したことがあった。原因は自分の失言であるが、何故自分は、『そういう発言は失言に当たる』と、前もって気付かなかったのだろうか?


 また、自分では周りと対等な社会感覚を持って話をしたつもりが、『子どもじみた発想』と評されることがあった。何故自分の感覚は普通の大人の感覚ではないのだろうか?若い頃から多くの人たちに、『子どもっぽい』、『大人の感覚が備わっていない』、『ズレている』と指摘されていた私。この年齢まできたら、努力をしても、最早克服出来る望みは薄いのだろうか?


 私の人生、決して悪いばっかりではないし、幸せなことは沢山あった。それはそうだ。
 しかしその陰で、長くも短くも封印していた思いが、とどまるところを知らぬほど言葉になって出ていた。実際には合間合間で先生が相槌を打ち、質問を挟んできて、それに答えるという形でやり取りが進んだのだが、とにかく順不同のプレイバックトークは続いた。最近のエピソードがメインだった一方で、「積年の思いとは、こういうことを指すのか?」と感じずにはいられなかった。


 「よく解りました。それでは今度、心理テストを受けてもらいます。受験日は根箭さんの都合のいい日を選んで、受付で申込んで下さい。それと、今までの根箭さんのことをいろいろ知ってみたいので、質問票を持って帰ってもらいます。次回来院の際、中身を回答して持ってきてもらえますか」
 先生はこう言いながら、驚くばかりの早打ちで私の言葉を入力していた、ノートパソコンを閉じた。


 席を立つ前に私は、「あのぉ、心理テストってどんな感じなんでしょうか?」と尋ねた。興味も不安も漂っていた。
 「まあ心理兼IQテストと思ってもらったらいいですね。その人の持つ能力や思考の、いろいろな特徴を調べるテストです」
 ・・・・・・なるほど。IQ、つまり知能テストでもあるわけだ。これが今までにもよく耳にしていた、『診断テスト』なんだな。いよいよ私も受ける立場になったのだ。いよいよ・・・・・。


 診察後受付で、先程聞いていた質問票が手渡された。かなり分厚い封筒で、そのため直後に次回の予約をした時は、来週にする予定だったところを再来週にした。しかし再来週はあいにく予約が埋まっているということで、結局3週間後が次の来院となった。そして、今後の人生を左右するであろう『心理兼IQテスト』の受験日は、12月3日に決定した。一体どんなテストになるのか?今からドキドキしてくる。


 それにしても、と私は思った。2週間後の予約が既に一杯の時もあるのだ。先週初めて電話した時、よくぞ1週間後の予約が取れたものだな。これは余程運が好かったということなのか・・・・・?
 取り敢えず、緊張と興奮の中での、【駆け込み寺】初診を終えた私は、余韻を消化して心を落ち着かせるべく、何年ぶりか分からないぐらい久しぶりに来た上本町の駅から、近鉄電車で大和八木→京都方面へと回った。私は鉄道マニアだから、電車に乗って過ごしていると気分が楽になる。そして帰宅を待たずして、近鉄電車の中で分厚い封筒を開けた。


 中身は6枚の用紙が入っていて、たくさんの質問が目に飛び込んできた。
 冒頭、以下のような説明文が書かれていた。
 『これは、自閉症スペクトラム障害の可能性が考えられる方にお配りしている、調査票です。ご自身のこれまでの成長発達について、お分かりになる範囲で結構ですので、お答え下さい』



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